第一章
 

 太極拳の鍛錬時には“気を以って体を動かす”とはいうものの、練習の時には気が体内でどのように運用されるかということだけにとらわれてはならず、意識を動作の中に注ぎこまなければならない。そうしなければその姿形は滞り、気がうまく通らないばかりか、気の勢いが散漫になるという状況に陥り、意と気の両者に悪影響を及ぼす。よって拳譜の中では“意は気には無く神にあり、気に置けば滞る”と述べられているのである。このような要因により、練習の時には外に現れる形が非常に重要なのであるが、これは外からの見た目も、内にある心と意が外部に表現されたものであるからである。内部の意識と外側に現れる形は密接不可分のものであり、内意が少しでも緩めば外形も散漫になってしまう。練習時には是非この点を知っておかなければならない。

 陳式太極拳では、動作には柔と剛、丸と四角、慢と快、開と合が必要であるということを主張している。我々はこの説が人体の生理的な法則と一致していると考えている。ご存知のように、体が動けば生体内の電圧は上昇し、体が静かなときには電圧が低下する。太極拳の動作の剛柔、開合、快慢等は、ちょうどそれに伴って電圧が上下することを促している。電圧の上昇は血液の循環の加速と差圧の低下を引き起こし、酸素とヘモグロビンの間に迅速な解離がおこった結果、人間は気を感じることができる。通常、神経は長時間同じようなテンションで興奮状態を保つことができない為、生体内電気は一般的に上下に揺れ動く。太極拳の動作も剛柔、快慢、方円等の滔滔として途切れの無い起伏状であり、ちょうどこの法則と一致している。

 前述の法則は、意と気の面においても一致がみられる。前述したように、外形と外気の活動は意と気が外側に表出したものであり、内在する意と気の状態を現している。このような神と気の外部表出の中心となるものは、主に内在する意識を外部の動作の中に注ぎ込み、あわせて動作の中に意識の集中を表現させ、堅強で活発且つ滞りがない等の状態のことである。

 しかし注意・集中力の程度は、内部の神経活動と同じで上昇と下降の触れ幅があるという特徴がある。よって、練習時には必ずこのような特徴に慣れてはじめて集中力が安定する。同時に、集中力が安定して初めて空想にふけり気が散るというようなことが無くなるのである。実質的には、ほんの短い時間でも集中力には上下の触れ幅がある。よって運動の過程において、ひっそりと静まり返り波風や揺れ動きの無い様な方法を採用すると、前述した生理的法則に反するばかりか、集中力の安定性も破られることになる。よって、太極拳は集中力安定の為に、ある一連の基準(快慢相間(快と慢を交互に繰り返す)、開合相寓(開と合が同居する?)、方圓相生と剛柔相済等)を採用し、あわせてそれらを一つの運動の中に統合していくのである。

 これらの決まりは意と気の運動の中に自然なうねりを生じさせることを促進させるとともに、外部の神気と内部の意気の揺れを強調させることが可能で、それによって内在する意と気の運動を活発化し、さらに外部の動作をも促進させる。 

 太極拳は意と気の運動である為、これを長期間練習した者は、体のどこか一部のことを考えただけで気の活動を出現させることが可能である。よって、多くの人が年月を惜しまず朝晩型を練習し、常に型の矯正をするのは、このようなことが出来るようになるためである。太極拳の動作がきっちりと定まるまで練習した後、大脳皮質の中に興奮と抑制の過程が正確に一定の順序に基づいて交互に活動し、同時に筋肉も協調して収縮と弛緩をするようになると、もし仮にたまたま予期せぬ刺激を受けたとしても、この協調的動作が損害を被ることは無い。ここまでできると、筋肉の活動と内臓器官の間にも非常に密接な協調関係が成立し、意が到達すれば気も到達し、気が到達すれば勁も到達することが可能となる。
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